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● ヤミが正しく、国家は間違っている
              −−ネット「ダフ屋」主婦を表彰せよ

                   諸野脇 正@インターネット哲学者
                  【e-Mail】 ts@irev.org
                  【Web Site】 http://www.irev.org/
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 ■ ネット「ダフ屋」主婦が逮捕される
 
 ネットでチケットを転売した主婦が逮捕された。
 

 大ヒットアニメ映画「千と千尋の神隠し」などで知られる宮崎駿監督が館主を務める「三鷹の森ジブリ美術館」(東京都三鷹市)の入場券を大量に購入し、インターネットのオークションサイトで販売していたとして、警視庁生活安全特別捜査隊などは二十二日までに、府中市小柳町五、主婦、塩田和子容疑者(33)を都迷惑防止条例違反(ダフ屋行為)の疑いで逮捕した。〔『日本経済新聞』2002年1月22日、夕刊〕
 
 
 しかし、この主婦を逮捕する必要があったのか。
 逆に、この主婦を表彰した方がよかったのではないか。
 この主婦は、人々の役に立っていたからである。チケットを買えなくて困っていた人々を救ったのである。
 

 ネット「ダフ屋」主婦が正しく、ジブリ美術館は間違っている。
 
 
 以下、詳しく説明する。
 
 
■ ヤミ米を食べなければ、死んでしまう
 
 次の文章を読んでいただきたい。
 実在の人物をモデルにした小説である。敗戦直後の東京が舞台である。主人公が通りかかると、米屋のおかみさんが声をかける。
 

 「お巡りさん。寄ってお茶でも飲んでいきなさいよ」
 下町のおかみさん気質がむき出しだった。
 世話好きで、いつも米屋の店先に人を集めていたが、だからといって駅前交番の警官全員に、誰かれの区別なく声をかけ、お茶を振る舞うというわけではなかった。
 菅原巡査一人なのである。
 理由があった。
 六人の警官が三交代で勤務する、小岩の駅前交番で、買い出しの米やさつまいもを背負った者を、絶対に捕まえないお巡りさん……は、菅原巡査一人だった。
 捕まえるのではなく、捕まえない。捕まえれば成績になるのは、わかっていても見逃してくれる。
 「気をつけて早く帰りな」
 逆に声までかけてやった。
 誰もが配給以外の米を喰べていたし、喰べなければ死んでしまう。
 生きるための買い出しだった。
 そういう人たちの、やっと手に入れてきた食料品を、取り上げる気にはなれなかったからである。〔清水一行『大物 第一部 相場師の巻』光文社文庫、16〜17ページ〕
 
 
 おかみさんと同様に、私もこの巡査に好感を持つ。
 多くの読者もそうであろう。
 菅原巡査は庶民の味方である。まず、国家が庶民を苦しめているのである。〈「配給以外の米」を食べてはいけない〉と国家が統制するのが間違いなのである。現実に即していないのである。その規則を守っていては「死んでしまう」のである。(事実、ヤミ米を食べずに死んだ裁判官がいた。)
 そのような非現実的な規則は無視しなくてはいけない。菅原巡査は、このような意識をもって、自覚的にヤミの食料の運搬を見逃していたのであろう。
 食料を運搬する者の中には、当然、ヤミ屋も混ざっている。ヤミの食料で商売をする者も混ざっている。食料の運搬を見逃せば、ヤミ屋も見逃すことになる。
 菅原巡査は、自覚的にヤミ屋も見逃していたのであろう。ヤミ屋も庶民の生活のために必要なのである。食料を買うためには、ヤミ屋も必要である。ヤミ屋無しでは、多くの人が「死んでしまう」のである。
 
 
■ ヤミのチケットを買わなければ、ジブリ美術館を見ることは出来ない
 
 目を低くして、現実を見てみよう。
 ジブリ美術館の予約状況である。(ジブリ美術館は完全予約制である。日にちを選んで、チケットを買う必要がある。)
 
   http://www.at-lawson.com/AboutView.cfm?LayoutGroupID=2812
 
 敗戦直後の食料と同様に、ジブリ美術館のチケットも不足している。
 三月末まで、ほとんど予約が一杯である。
 四月以降は、まだ売り出されていない。
 しかし、売り出されれば、すぐに売り切れになるであろう。特に、土日のチケットを買うのは困難であろう。以前の売り出しでは、土日のチケットは売り出し初日に売り切れになったのである。
 これでは、なかなかジブリ美術館を見ることは出来ない。これは、ファンにとっては大問題であろう。土日にしか行けないファンは、何カ月も(何年もか?)ジブリ美術館を見ることが出来ないのだ。
 ファンにとっては、ヤミのチケットが必要である。これは、庶民にヤミの食料が必要だったのと同じである。ヤミのチケットを買わなければ、ジブリ美術館を見ることは出来ないのだ。
 
 
■ 価格を安く統制すれば物不足が起こる
 
 なぜ、こんなにチケットが不足するのか。予約で一杯になるのか。それは、値段が安すぎるからである。幼児百円、小学生四百円、中高生七百円、大人千円。これは安すぎる。
 ジブリ美術館のチケットは、フィルムチケットである。ジブリの作品のフィルムがチケットに付いている。このチケット自体でも、オークションである程度の値段がつくことがある。つまり、使用済みのチケットにも価値があるのだ。私が見たものは、800円の値段がついていた。つまり、実質的に、ほとんど無料で美術館を公開してる可能性がある。
 ジブリ美術館は、チケットの値段を市場を無視した安値に設定しているのである。
 極端な安値は、人々のためによいと思われがちである。しかし、それは違う。非現実的な安値に設定された物は、多くの人が欲しがる。すると、まずほとんどの人の手に入らなくなる。非現実的な安値は物不足をもたらすのである。
 結果的に、ジブリ美術館を見たい人のうち、かなりの人が見ることが出来なくなる。まず、ジブリ美術館の非現実的な価格設定が人々を苦しめているのである。
 
 
■ ヤミが正しく、国家は間違っている
 
 多くの読者は、菅原巡査に好感を持ったであろう。それならば、なぜ、ネット「ダフ屋」主婦には好感を持たないのか。(注1)
 この二つの事例は、同じ構造なのである。つまり、統制価格とヤミ価格の関係をどう考えるかという問題である。
 次の原則を覚えておいて欲しい。
 

 ヤミが正しく、国家は間違っている。
 
 
 国家が、特定の商品を配給制にしようとすることがある。また、価格を統制しようとすることがある。そして、その結果、ヤミ市場が出来ることがある。
 その場合、ヤミの方が正しい。国家が決めた価格は間違いである。この「正しい」という語の意味は、「合理的な」「現実に即した」「経済活動の裏づけがある」というような意味である。
 その商品が、米であろうと、石油であろうと、為替であろうと、非現実的な価格に長期間統制することは不可能である。統制すれば、ヤミ市場が出来る。非現実的な価格を現実的な価格にしようとする力が働く。統制価格をヤミ価格にしようとする力が働く。ヤミ価格とは、言いかえれば市場価格である。


■ グリーン席と似たシステムを作ったネット「ダフ屋」主婦
 
 ネット「ダフ屋」主婦に対する次のような批判が考えられる。
 

 正規の値段で買える人を減らしている。その人に迷惑をかけている。
 
 
 これは、確かにその通りである。(注2)
 しかし、次の事実を確認していただきたい。この主婦は〈あなたのものになるはずのチケット〉を奪ったのではない。その「正規の値段で買える人」には、ほとんどなれない。多くの人が欲しがっているのである。あなたが買える可能性はほとんどなかったのである。
 ネット「ダフ屋」主婦は、「正規の値段で買える人」を減らした。そして、ネットオークションで買える人を増やした。数の観点から見れば、減らした数と増やした数は同じである。
 しかし、別の観点から見れば、ネット「ダフ屋」主婦はシステムを作ったのである。お金を多く払えば、チケットを買えるというシステムを作ったのである。
 これは、新幹線のグリーン席に似ている。グリーン席では、お金を多く払えば席に座れる。このようなシステムは、普段グリーン席を使わない人にも役に立つ。普段使わないにしても、体調が悪い時に使うことが出来る。また、記念の旅行の時などに使うことが出来る。
 同様に、ジブリ美術館のチケットがネットオークションで買えるシステムは役に立つ。普段は使わない人にも役に立つ。お金を多く払っても行きたい時に使うことが出来る。例えば、自分の誕生日に行きたい時などに使うことが出来る。
 
 
■ 完全市場としてのネットオークション
 
 さらに、次のように考えてみよう。全部のチケットがネット「ダフ屋」の手に渡ったと仮定してみよう。全てのチケットがネットオークションにかけられる。
 この状態に、何か問題があるのか。何の問題も無い。
 全てのチケットが、売り手と買い手が折り合った価格になる。全ての売り手と買い手ががオークションに参加する。全ての需要と供給がつき合わされて、価格が決定される。これは、いわゆる完全市場に近い状態である。
 そこで決定される価格は正しい価格である。これを正しい価格と言わなくて、何を正しい価格と言うのか。
 この場合、全てのチケットをネット「ダフ屋」がオークションにかけている。これは、全てのチケットをジブリ美術館がオークションにかけるのと大筋で変わらない。ネット「ダフ屋」から買おうと、ジブリ美術館から買おうと、買い手の側から見れば大筋で差はない。買い手は、買う価値がある価格だと判断すれば買う。そうでなければ買わない。(注3)
 
 
■ 被害者としての私
 
 ジブリ美術館は、非現実的な安値にチケットの価格を設定した。そのため、チケット不足が起きた。不足しているから、ヤミでチケットが転売される。
 それにもかかわらず、ジブリ美術館はこの事実に気がついていない。
 

 館側は「非常に残念な事態」と困惑している。
           〔『日本経済新聞』2001年11月19日〕
 
 
 一体、何が「残念」なのか。
 まるで、ひと事のようである。
 まず、ジブリ美術館がファンに迷惑をかけているのだ。チケット不足で迷惑をかけているのだ。
 自分達に原因があることに気がつかなくてはいけない。
 はっきり言おう。私は被害者だ。私がジブリ美術館に行くとすれば、土日だ。しかし、土日のチケットは発売当日に売り切れてしまう。これではジブリ美術館を見ることが出来ない。
 ジブリ美術館は、この私の被害に対して、何の手も打たない。(それに対して、ネット「ダフ屋」主婦は、私達を助けてくれていたのである。)
 ジブリ美術館は、私に答えて欲しい。この異常な状態を、どう解消するのか。どのような方策を採るのか。
 「残念」は、こちらのセリフだった。ジブリ美術館を見ることが出来ずに誠に「残念」である。
 
 
■ 提案
 
 ジブリ美術館は、異常なチケット不足を解消するべきであった。しかし、何ら解消するための具体的な手を打たない。仕方ないので、私が解決策を提案する。
 

 1 チケットを値上げする。(特に、土日の料金を値上げする。)
 2 プレミアムチケットをつくる。
 3 一定の割合のチケットを、自らネットオークションにかける。
 4 休館日(火曜)をなくす。
 5 第二ジブリ美術館をつくる。
 
 
 チケットを値上げしよう。既に論じたように、チケット不足の主因は安すぎる価格設定である。ジブリ美術館は、非現実的な安値でチケットを売り出している。これでは、チケットがすぐに売り切れてしまうのは当然である。チケットの値上げをするべきである。特に、土日のチケット不足は深刻である。平日と土日の料金に差をつけるべきである。土日の料金を高くするのである。
 プレミアムチケットをつくろう。この点では、サッカーのW杯のチケットが参考になる。日本側の一般売り出しは63万枚である。そのうち、10パーセントの6万3千枚が高額のプレミアムチケットである。食事・土産付きで、20万〜150万の値段がついている。このようなプレミアムチケットをつくればよい。グッズ付きで、数万円のチケットをつくればよい。私が、ぜひ見てみたいのは次のものである。
 

 実物大トトロ付き、100万円のチケット
 
 
 迫力があるはずである。
 一定割合のチケットを、自らネットオークションにかけよう。そうすれば、「ダフ屋」から買う必要はあまりなくなる。「ダフ屋」から買うより、ジブリ美術館から買った方が安心だからである。もしかしたら、ジブリ美術館は、同じチケットを高く売ることに抵抗があるかもしれない。それならば、「定価」との差額分を寄付しよう。貧困地域の子供のために寄付しよう。例えば、曽野綾子氏の作った援助団体に寄付しよう。幸せな環境の子供が遊び、そのことによって貧困地域の子供が救われる。こう考えるとうれしくなる。
 休館日をなくそう。なぜ、休館日があるのか。こんなに混み合っているのに、一週間に一度休む方が不思議である。「お役所仕事」なのではないか。一日休みを減らせば、2400枚チケットを増やすことが出来る。一ヶ月で約一万枚のチケットを増やすことが出来る。ネット「ダフ屋」主婦が転売した枚数は60枚である。ジブリ美術館は、けた違いに多い枚数を自分で増やすことが出来るのである。
 第二ジブリ美術館をつくろう。チケットを値上げしても、どんどん人が来たとする。どんどんお金が儲かったとする。それは、同じような施設がもっと必要だというシグナルである。ディズニー・シーを思い浮かべて欲しい。ジブリ・シーをつくることを考えよう。
 以上の5点をジブリ美術館は検討するべきである。
 もしかしたら、ジブリ美術館は何も出来ないかもしれない。その場合は、少なくとも深く反省するべきである。自分のことを棚にあげて、他人の行為に口出しするようなまねは止めるべきである。
 
 
■ ネットオークション会社に口出しするジブリ美術館側
 
 ジブリ美術館を所有する三鷹市は、オークションに出品されたチケットの削除を要請した。
 

 ……〔略〕……同館を所有する三鷹市は十八日までに、ホームページ(HP)の運営会社に出品の削除を要請した。
 同館の完全予約制と、宮崎映画に代表されるスタジオジブリの人気を逆手に取った“ダフ屋行為”だが、HP運営会社は「転売目的かどうか断定できない」と削除に難色。警視庁も現行法では取り締まりは難しいといい、館側は「非常に残念な事態」と困惑している。〔『日本経済新聞』2001年11月19日〕
 
 
 「削除に難色」を示した「HP運営会社」の判断は正しい。
 しかし、その理由づけは間違っている。
 

 「転売目的かどうか判断できない」
 
 
 この理由づけは、転売が悪いということを含意している。
 しかし、既に論じたように転売は悪くはない。
 「HP運営会社」は、三鷹市の間違った考えの影響を受けてしまったのであろう。影響を受けてはいけない。気を確かにもとう。
 「HP運営会社」は次のように言うべきであった。
 

 「転売は悪くない。よい行為である。だから、削除の必要はない。」
 
 
 転売が悪いと認めると、どうなるか。さまざまな商品について、「転売だから、削除せよ。」という要求をされる可能性が出る。また、転売だと判明した時に、削除しなくてはならなくなる。
 しかし、転売の商品は、ネットオークションの商品のかなりの部分をしめる。これでは、ネットオークションは成り立ちにくい。
 ネットオークションを運営する会社は、〈転売はよい行為〉という明確な考えをもつべきである。
 そして、三鷹市は口出しを止めるべきである。なぜ転売がおこなわれるのかをよく考えるべきである。よく考えれば自分達に原因があることに気がつくはずである。口出し出来るような立場ではないことに気がつくはずである。
 
 
■ 鑑定士・中島誠之助氏の命を救え
 
 次の事実を確認して欲しい。
 

 このネット「ダフ屋」主婦が逮捕されるならば、中島誠之助氏は死刑だ。
 
 
 「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士・中島誠之助氏は骨董屋である。骨董屋は、転売目的で骨董品を買う。そして、転売する。中島氏は、今まで数え切れないほどの骨董品を転売してきた。中島氏は転売王である。転売が悪いならば、まず中島氏を責めるべきだろう。
 次のように言う者がいるかもしれない。
 
 「チケットは数が限られている。」
 
 しかし、それを言うならば、骨董品も数が限られている。中島氏が買ったために、その骨董品を安い価格で買うことが出来なくなった者も多いであろう。なぜ、中島氏を責めないのか。
 しかし、そう考えると、読者の皆さんは、多くの商売が転売であるという事実に気がつくであろう。転売は、商売の中心的な活動である。転売が悪いと考えることは、多くの商売を悪いと考えることである。それは、非現実的な考えである。
 
 
■ 庶民いじめは止めよ
 
 転売を悪い行為として扱うのは非常識である。転売を罰するのは非常識である。
 中島誠之助氏を死刑にするのは、あまりにかわいそうだからである。
 だから、ネット「ダフ屋」主婦を逮捕するべきではなかった。
 この問題は、お上による庶民いじめなのである。三鷹市・ジブリ美術館が庶民であるネット「ダフ屋」主婦をいじめているのだ。
 主婦は、取り調べに対して次のように語っている。
 

 「家のローンがあり、小遣いの足しにしたかった」
         〔『日本経済新聞』2002年1月22日、夕刊〕
 
 
 見事に庶民である。「家のローン」に苦しむ主婦。「小遣い」が欲しかった主婦。
 三鷹市・ジブリ美術館は、この主婦の小さな夢を踏みにじったのだ。そして、チケットを買えないジブリファンの小さな夢を踏みにじったのだ。
 三鷹市・ジブリ美術館は庶民いじめを止めよ。
 菅原巡査は、ヤミの食料の運搬を見逃した。庶民いじめをしたくなかったからである。
 同じように、警察は、この主婦を見逃すべきだった。三鷹市に何か言われたとしても、無視するべきだった。
 この私の主張に、石井久氏(菅原巡査のモデルと言われる人物)は賛成してくれるだろう。かつてヤミ米を食べた多くの人々も賛成してくれるだろう。
 そして、もちろん中島誠之助氏も賛成してくれるだろう。
 
  
(注1)
 
 もちろん、菅原巡査はヤミ屋を見逃しただけである。ネット「ダフ屋」主婦は、ヤミ屋を自分でした。確かに、その点では両者は違う。しかし、ヤミの側に立っている点では同じである。
 ぜひ、『大物』の続きを読んでいただきたい。
 実は、菅原巡査は警察を辞めて、ヤミ屋になるのである。警察よりヤミ屋の方が正しい(食料などの取り扱いについては)のだから、当然のことである。
 
 
(注2)
 
 しかし、〈ネット「ダフ屋」がチケット不足を招いている。〉と考えるならば、それは間違いである。転売は「正規の」チケットが不足した主因ではない。
 この主婦が転売したチケットは微々たる枚数に過ぎない。ジブリ美術館は一日につき2400枚のチケットを売り出す。一ヶ月に約72000枚である。この主婦が今までに転売したチケットは約60枚である。これは、けた違いに少ない枚数である。
 確かに、ネット「ダフ屋」は、この主婦だけではない。しかし、全体でもさほどの数にはならない。実際に、ヤフーオークションなどを見てみると、それほどの出品はないからである。
 仮に、10パーセントのチケットが転売されている考えてみよう。そのためには、毎日約240枚の落札が必要である。しかし、それほど大量のチケットが転売されている事実はない。実際には、その十分の一の落札もないであろう。転売されているのは、1パーセント以下であろう。
 この程度の転売が「正規の」チケットが不足した主因であることはあり得ない。
 
 
(注3)
 
 〈ネット「ダフ屋」が価格をつり上げてる。〉という考えがある。しかし、この考えは大筋で間違いである。価格をつり上げているのは、落札を争っている買い手である。買い手がいなければ、チケットは紙屑になる。

                                                  (2002年2月20日)

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 ◆インターネット哲学【ネット社会の謎を解く】◆ 26、27号掲載
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