■ 本を焼くナチス
  
  
     
  
  
     ドイツの小説家エーリヒ・ケストナーは広場にいた。自分の本がナチスによって焼かれる現場に立ち会うためである。
  
  
     
  
  
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    │ ……〔略〕……1933年に、わたしの本は、ベルリンの国立オペラ劇場 │
  
  
    │のわきの大広場で、ゲッペルス氏とかいう人によって、陰惨に大げさにはな │
  
  
    │はだしく焼かれた。象徴的に永久に葬り去られるべき二十四人の中でわたし │
  
  
    │は、この芝居じみた厚顔無恥の所業に立ち会うべく親しく現場に現れたただ │
  
  
    │ひとりであった。                           │
  
  
    │ ……〔略〕……                           │
  
  
    │ 突然、かん高い女の声が「あすこにケストナーがいる」と叫んだ。……  │
  
  
    │〔略〕……わたしは不快に思ったが、何事も起こらなかった。(そのころは │
  
  
    │ことのほか実に多くのことが「起きる」のが、日常茶飯事であったが。)本 │
  
  
    │は火の中に飛び続けた。悪がしこい小さいうそつきの長広舌はひびき続けた。│
  
  
    │とび色の学生親衛隊の顔は、あごひもをしめて、じっと正面を見つめていた。│
  
  
    │燃えさかる炎の方を、身振りたっぷりに退屈な演説をする小悪魔の方を。  │
  
  
    │〔エーリヒ・ケストナー著、高橋健二編訳『子どもと子どもの本のために』 │
  
  
    │岩波書店、1977年、146〜147ページ〕             │
  
  
    └───────────────────────────────────┘
  
  
     
  
  
     本を焼くことは許し難い暴挙である。
  
  
     しかし、それは、まだましだったのかもしれない。本が焼かれるだけでは済まなかった。人間が焼かれたのである。最初は少しずつ、最後には狂ったように、人間が焼かれた。
  
  
     本が焼かれたのはナチス政権成立直後の1933年である。その後、ナチス政権は終戦の1945年まで続いた。この間、ナチスはエスカレートしていった。
  
  
     ケストナーは本を焼いている現場で見つかってしまった。しかし、幸いにも本と一緒に焼かれはしなかった。これは1933年だからであろう。1945年ならば、焼かれていたであろう。この時、ナチスは、ケストナーの本だけでなく、ケストナーの本体をも狙っていたからである。命を狙っていたからである。
  
  
     ケストナーはハイネの詩の一節を借りて次のように言った。
  
  
     
  
  
    ┌──────────────────────────────────┐
  
  
    │ 本を焼くところでは、しまいに人間をも焼く 〔同、153ページ〕  │
  
  
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     本は、人間の精神の産物である。本を焼くことは、人間の精神を大切にしていない現れである。自分と異なる考えを認めない偏狭さの現れである。異なる考えの本を焼く者は、異なる考えを持つ人間をも焼きやすい。
  
  
     もちろん、本を焼くことと、人間を焼くことの間には、大きな差がある。本を焼きながら、人間は焼かない者が多いであろう。しかし、本を焼く者と本を焼かない者を比べれば、本を焼く者の方が人間を焼く傾向が強いであろう。
  
  
     本が焼かれていたら注意しよう。それは人間が焼かれる前ぶれかもしれない。
  
  
     いわば、本が焼かれることは指標である。精神が大事にされていないことの現れである。
  
  
     
  
  
     
  
  
    ■ 大仏を破壊するタリバン
  
  
     
  
  
     悲しい原則を付け加えなくてはならない。
  
  
     
  
  
    ┌──────────────────────────────────┐
  
  
    │ 大仏を破壊するところでは、しまいにビルをも破壊する。       │
  
  
    └──────────────────────────────────┘
  
  
     
  
  
     今年の三月にタリバンによってバーミヤンの大仏が破壊された。
  
  
     大仏は、精神の産物である。精神の象徴である。
  
  
     タリバンにとっては、自分達とは異なった宗教の象徴である。それを破壊した訳である。
  
  
     大仏を破壊する集団ならば、世界貿易センタービルを破壊しても不思議はない。貿易センタービルはアメリカの象徴である。(今の段階では、タリバン関係者の犯行と厳密に確定されたわけではない。しかし、やりかねないという実感はある。)〔補〕
  
  
     世界貿易センタービルでは多くの人が犠牲になった。破壊した者は、その犠牲を何とも思っていないのであろう。いや、むしろ喜んでいるのであろう。
  
  
     異教の象徴を破壊する者は、異教徒をも破壊しやすい。象徴を尊重しない者は、その象徴をあがめる人間をも尊重しない傾向がある。
  
  
     
  
  
     
  
  
    ■ 私はこの文章を今年の3月に書くべきだった
  
  
     
  
  
     今年の3月に大仏が破壊された。
  
  
     私達は、この時に気がつくべきだった。何かの前ぶれかもしれないと。大勢の人間を殺すテロがあるかもしれないと。
  
  
     当時の新聞を読み直してみた。世界的文化財の破壊を嘆く声がほとんとである。
  
  
     「前ぶれだ。」と警告する文章は見あたらなかった。
  
  
     私達はこのような狂気に慣れていないのである。異質な他者を否定する偏狭さに慣れていないのである。
  
  
     私は、この文章をもっと早く書くべきだった。今年の3月に書くべきだった。
  
  
     ケストナーが生きていたら、私達に注意を促してくれたかもしれない。ケストナーは、狂気・偏狭さを観察し続けたのだから。
  
  
     インターネットについてケストナーに訊いたら何と言うだろうか。
  
  
     
  
  
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    │ インターネットを禁止するところでは、しまいに人間をも禁止する。  │
  
  
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     このように言うだろう。
  
  
     インターネットは、まさしく精神の産物だからである。
  
  
     
  
  
     
  
  
    ■ 指標としての言論の自由
  
  
     
  
  
     言論の自由・信教の自由の侵害は指標である。それは、より大きい人権侵害の前ぶれである可能性がある。だんだん、エスカレートしていく可能性がある。
  
  
     これらは、いわば炭坑の中のカナリヤである。カナリヤが死んだら、人も死ぬ可能性がある。
  
  
     本が焼かれたら、大仏が破壊されたら、インターネットが禁止されたら、注意しよう。
  
  
     人が殺されるかもしれない。
  
  
     
  
  
                          
    (2001年9月27日)
    
    〔補〕
    
     その後、分かったのは、おおむね次のような事実である。
     米同時テロは、タリバンによってかくまわれていた国際テロ組織アルカイダによっておこなわれた。
     大仏の破壊は、アルカイダの影響を受けたタリバンによっておこなわれた。
     タリバン・アルカイダには密接な関係があった。
     だから、「タリバン関係者の犯行」と言ってもよいであろう。(2003年9月15日)