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● インターネット50億人集中論

                   諸野脇 正@インターネット哲学者
                  【e-Mail】 ts@irev.org
                  【Web Site】 http://www.irev.org/
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■ 田舎の「コーヒー専門店」?
 
 ずいぶん昔のことである。長野県の木崎湖に行った。木崎湖は、端的に言うと田舎である。
 「コーヒー専門店」という看板を見て、喫茶店に入った。
 メニューを見る。
 

 コーヒー    400円
 アイスコーヒー 400円
 
 
 すがすがしいほどシンプルなメニューである。
 コーヒーだけを「専」ら出す店なのだから、確かに「コーヒー専門店」かもしれない。
 しかし、そんな一休さんのとんちのようなことでは困る。私はとんちを楽しむために店に入ったのではない。とんちではなく、ブルーマウンテンを出すべきである。
 もちろん、一般的な意味では、この店は「コーヒー専門店」ではない。
「コーヒー専門店」とは、コーヒーを「専」ら出すだけの店ではない。それは、コーヒーの味にこだわりを持った店である。いろいろな種類のコーヒーを出す店である。例えば、ブルーマウンテンを出す店である。
 しかし、よく考えれば、田舎には「コーヒー専門店」はあまり必要ない。
喫茶店は、この店だけなのだ。どちらにしろ、客はこの店で我慢するしかない。また、コーヒーの味・種類にこだわる人間も少ないであろう。ブルーマウンテンを飲みたがる人間も少ないであろう。「コーヒー専門店」とは都会的なものなのである。
 泥のようなコーヒーを飲みながら、私はこのようなことを考えていた。
 そして、飲めなかったブルーマウンテンのことを。
 
 
■ 大都市には多様性がある
 
 園田康博氏は言う。
 

 昔見た「惑星ソラリス」というソ連のSF映画をもう一度見たくて、レンタル・ビデオ・ショップをのぞいたがどこにも置いていない。スピルバーグのものやスタローンのものはどこにも腐るほどおいてあるのに、ちょっとマイナーな映画は、どこを探してもない。
 これは何もビデオに限ったことではない。本を探す場合もそうだ。ベストセラーものとか、雑誌の類はどこの本屋にでもあるのだが、ちょっと昔のものになると出版社に問い合わせても入手できない場合が多い。 ……〔略〕……
 上智大学教授の渡部昇一氏が、『ボイス』の5月号で『東京5000万人集中論』という小気味よい論文を発表されている。そのなかで、とくに印象に残ったセンテンスがある。

  「東京でも3000万人の人口になれば、ほかでやれないことがやれるようになる。それはどういうことかといえば、たとえばバッハの『無伴奏チェロ・ソナタ』だけを聴く音楽会などというのは、地方でやっても採算がとれない。しかし3000万人の人口がいればそれができる。ふしぎなことに、人間が集まるところでは何をやっても食えるようになるのである。」

 この説に筆者も賛成する。
 3000万人いれば、レンタル・ビデオ・ショップに「惑星ソラリス」を置いても、……〔略〕……商売になるはずだ。二流、三流の本ばかり集めている本屋だって成り立つかもしれない。
 東京の魅力は、浅はかな都市計画なんかで作り上げられた意図的な空間と違い、そこの住民でさえ気付かない、情報を見る人の関心いかんでいくらでも吸収できる奥深さにある。これは、すべて人口の集中がもたらしたものだ。
 〔『デジタル版 徒然草』翔泳社、1989年、256〜257ページ〕 
 
 http://web.archive.org/web/19980206100403/www.nom.ne.jp/turezure/jyouhou.htm
  
 渡部氏、園田氏の説に著者も賛成する。
 次の原理を確認していただきたい。
 

 大都市には人口が集中している。
 この人口の集中が多様性をもたらす。大都市では、マイナーな嗜好でも満たされる。例えば、マイナーな嗜好を対象とするビジネスが商業ベースにのる。
 
 
 それでは、なぜ、商業ベースにのるのか。 
 商業ベースにのる数が確保できるからである。マイナーな嗜好でも、大都市では、その嗜好を持っている人の総数にすればかなりの数になるのである。
 その嗜好を持つ人の総数が問題なのである。アクセス可能な地域内での総数が問題なのである。
 持つ人の割合が小さい嗜好がある。マイナーな趣味がある。例えば、コンサートでバッハの『無伴奏チェロ・ソナタ』だけを聴くというマイナーな趣味がある。
 仮に、この趣味を持つ者が千人に一人だとしよう。しかし、3000万人の人がいれば、その趣味を持つ人の総数は三万人になる。十分コンサートが出来る。
 しかし、これが人口千人の村だったらどうであろうか。その趣味を持つ者は一人しかいない。これではコンサートは出来ない。
 コンサートが出来るかどうかは、割合ではなく、総数に依存している。
総数が、コンサートのために必要な数に達すればよい。割合ではなく、総数が問題なのである。
 これが大都市に多様性をもたらす原理である。


 大都市には多様性がある。
 それは、割合ではなく、総数が問題だからである。
 膨大な数の人がいれば、マイナーな嗜好でも、その嗜好を持っている人の総数にすればかなりの数になる。
 
 
 だから、大都市では、さまざまな嗜好が商業ベースにのる。さまざまな嗜好を持つ人達がコミュニティーが作れる。
 
 
■ インターネットの超大都市性
 
 何らかの形でインターネットにアクセスしている日本人は5000万人になった。
 
   http://www.vrnetcom.co.jp/press/pressdata/200210211.html 
 
 5000万人は大変な数である。東京の人口が1200万人である。つまり、インターネットには、東京の人口を遥かに越える人がアクセスしている。
 だから、次のように言える。
 

 インターネットは超大都市である。
 
 
 インターネットには、アクセス可能な地域内に5000万人が「住んでいる」のである。
 こう考えると、インターネットは、どの大都市よりも人口が集中した超大都市である。このインターネットの超大都市性に注目しよう。
 どの大都市よりも人口が集中しているのだから、もの凄い多様性があるはずである。まさに「現実離れ」しているのである。
 

 インターネットには、どの大都市よりも人口が集中している。
 この人口の集中ゆえに、インターネットには現実離れした多様性がある。 
 
 
 インターネットには5000万人の日本人が集中している。これだけ集中していれば、非常にマイナーな嗜好でも満たすことが出来る。多様な活動が出来る。いろいろ面白いことが出来る。
 インターネットへの人口の集中によって、世界が変わったのである。
 

 インターネットによって、現実離れした多様性がある新しい世界が誕生したのである。 
 
 
 今までの世界を遥かに越えた多様性がある新しい世界が誕生したのである。これは素晴らしいことである。
 インターネットの超大都市性によって、現実離れした多様性がもたらされたのである。
 
 
■ インターネットと言えば〈耳フェチ〉
 
 仲間が見つけにくい特殊な趣味がある。しかし、インターネットなら仲間が見つけられる。インターネットには現実離れした多様性があるからである。
 かつて、私は、このことを次のように友人に話していた。(インターネットがまだ一般的でなかった頃の話である。)
 

 〈耳フェチ〉の人がいるとしますよね。その人は、とにかく〈耳〉が好きなんです。
 そういう人が自分の住んでいる地域で仲間を見つけることは不可能に近いです。いわゆる「現実世界」では不可能に近いです。
 でも、インターネットでは、それが可能なんです。インターネットでは〈耳フェチ〉コミュニティーだって作れるんです。
 インターネットと言えば〈耳フェチ〉なんですよ。
 
 
 これはインターネットの特徴を説明するための例えである。
 だから、実際に〈耳フェチ〉コミュニティーが存在するかどうかを調べたことは無かった。この文章を書くにあたって、調べてみた。
 ありました。
 〈耳フェチ〉サイト。
 
   ◆ Ear Fetish  〔一応、18禁のようです。〕
   http://village.infoweb.ne.jp/~earfeti/index-top.htm 
 
 このサイトは〈耳〉画像満載である。画像を見ると、いきなり訊かれる。
 

 どの耳がお好みですか? 
 
 
 いきなりそう言われても……。
 そういうことは考えたことも無かったから。
 〈好きな耳〉に投票するシステムなのである。たぶん、〈耳フェチ〉には、〈好きな耳〉・〈嫌いな耳〉があるのだろう。(私には無いが。)自分が〈好きな耳〉に投票すると、楽しいのであろう。
 確かに、〈耳フェチ〉は特殊な趣味である。自分の家の近くで、〈耳フェチ〉仲間を見つけるのは非常に困難であろう。しかし、このような特殊な趣味を持つ者同士も、インターネットなら交流できる。
 もちろん、交流が可能なのは〈耳フェチ〉に限らない。これはインターネットの重要な特徴なのである。インターネットでは、少数の人しか関心を持たない領域においてもコミュニティーを作ることが出来る。
 例えば、難病のサイトである。何十万人に一人という難病に罹ったとする。その病気についての情報を得ることは大変難しい。一般向けの本が出版されていることはあり得ない。健康雑誌で特集されることもあり得ない。
買う人がほとんどいないからである。
 しかし、インターネット上ならば、このような難病の情報を発信することが出来る。また、その病気についてのサイトを作り、情報を交換することが出来る。コミュニティーを作ることが出来る。
 素晴らしいことである。
 
 
■ インターネット上に集まろう
 
 インターネットが持つこの現実離れした大都市性、多様性を覚えていて欲しい。
 あなたが難病にかかったら、インターネットを検索するべきである。また、あなたが、もの凄く〈耳〉が好きだったら、インターネットを検索するべきである。求める情報がきっと得られるであろう。
 かつて、園田氏は『惑星ソラリス』を発見することが出来なかった。マイナーな映画だったからである。1988年のことである。
 しかし、時代は変わった。インターネットが世界を変えた。1988年に発見できなかった『惑星ソラリス』も2003年には見つかるであろう。
 アマゾン・コムで探してみよう。
 
   ◆ アマゾン・コム
   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G0Z1/qid=1056038846/br=1-1/ref=br_lf_d_0/249-5794450-9483510
   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006RTTR/qid=1056075318/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/249-5794450-9483510
 
 見事に発見できた。これで『惑星ソラリス』のDVDを購入することが可能である。
 マイナーな映画も発見できた。これが超大都市であるインターネットの力である。1988年の世界より多様性がある世界に我々は生きているのである。
 しかし、園田氏は、購入ではなくレンタルを希望されているのかもしれない。レンタルを探してみよう。
 インターネットを使ったDVDレンタルではどうだろうか。インターネットで申し込み、郵送でDVDをやり取りするシステムである。(注1)
 
   ◆ ぽすれん
   http://www.posren.com/search.cgi?status1=title&keyword=%CF%C7%C0%B1%A5%BD%A5%E9%A5%EA%A5%B9
  
 残念ながら、見つからなかった。
 なぜだろうか。集中が今一つ足りないのであろう。まだ、インターネットを使ってDVDを借りる人が少ないのであろう。また、インターネットを使う人の総数が少ないのであろう。
 インターネットという大都市にもっと人口が集中する必要がある。
 

 インターネット上に50億人が集まろう。 
 
 
 世界の全ての人間が、インターネットに集中すれば世界が変わる。(注2)
 インターネットに50億人が集中すれば、新しい世界が出来る。もの凄い多様性を持った世界が出来る。(注3)
 例えば、〈耳フェチ〉サイトを遥かに超えた〈耳たぶフェチ〉サイトすら可能になるだろう。
 もちろん、私は〈耳たぶ〉に何の興味も無い。あなたも、たぶん興味は無いだろう。
 しかし、〈耳たぶフェチ〉サイトを可能にする原理はあなたにも関係ある。インターネットがもたらす多様性はあなたに関係ある。
 インターネットとは、〈耳たぶフェチ〉サイトを可能にするものである。
また、私達は、それを可能にするように努力するべきである。インターネットに集中するべきである。
 だから、あなたも〈耳たぶ〉のことを覚えておいて欲しい。
 インターネットと言えば、そう、〈耳たぶフェチ〉なのだ。
 
                         (2003年6月27日)
 
(注1) 
 
 これは奇妙なシステムである。なぜ、DVDを郵送するのか。
 もう顧客はインターネット上にいるのである。インターネットで注文を出しているのである。直ぐに映画をネット配信すれば済むはずである。
 なぜ、ネット配信しないのか。大筋で、これは回線の太さの問題である。
現状では、まだ映画を配信できるほど回線が太くないのである。(もちろん、その他にもいろいろ問題はあるが。)
 しかし、いずれネット配信が可能になる日が来る。そうなれば、『惑星ソラリス』も「レンタル」できるだろう。もの凄い多様性がある世界が出現するのである。
 
 
(注2)
 
 世界の人口は63億人である。
 
   ◆ 世界人口時計
   http://www.ibiblio.org/lunarbin/worldpop
 
 しかし、この中には、インターネットを使用する可能性が無い者も含まれている。例えば、幼児や重度の病人である。
 それらを引いて、おおむね50億人と計算している。
 
 
(注3)
 
 現在、世界のインターネット使用者は6億人である。
 
   http://pcweb.mycom.co.jp/news/2002/11/11/14.html

 

 つまり、まだ、50億人という潜在的可能性の12パーセントしかインターネットを利用していないのである。
 世界で50億人集中は、遥か彼方の目標である。
 ちなみに、日本のインターネット使用者は5000万人である。1億人が使用可能とすると、50パーセントである。
 日本で1億人集中は、射程圏に入った目標である。

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 ◆インターネット哲学【ネット社会の謎を解く】◆ 39号掲載
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